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2014年10月

ASD vs ADHD / カナー vs アスペルガー


カテゴリ:
スペクトラム

先日、十一元三先生の講演を聴きました。神田橋條治先生のお話とは対照的に単純明快でとてもわかりやすいプレゼンだったので少しご紹介。

ともすればゴチャゴチャしがちな発達障害を、ASD vs ADHD/カナー症候群 vs アスペルガー症候群の二分法で整理していきます。

略語
ASD 自閉症スペクトラム障害
ADHD 注意欠陥多動性障害  


ASD vs ADHD

ASDとADHDはそれぞれお互いをお互いと見間違う
例えば、
  • 社会性の障害を『不注意』と誤解したり
  • 衝動性を『社会性の未熟』と誤解したり
薬剤選択や効果判定に影響するので見分ける努力をするべき
鑑別すべきポイント『馴れ馴れしさ』について
  • ADHD ひと懐っこさ・あどけなさ
  • ASD 奇異・おせっかい=社会的関係のわからなさ
→対人相互性に注目した聴き取りが重要
積極的なASDのひと特有のぐちゃぐちゃネチャネチャした対人距離感。その昔は境界例として記述されたりもしたんだろうと想像します。 
ASDの重症例はADHDを合併しやすい


カナー vs アスペルガー

『人を避ける・孤立』vs『他者への活発な接近』
『発語の遅れ・緘黙』vs『雄弁・詩的・衒学的』
いずれも『自閉=対人相互反応・社会性の障害』ということで『自閉症スペクトラム』にまとめられる昨今ですが、もともと自閉症は(古典的かつ典型的な)カナー型と(非典型的な)アスペルガー型に分けられていたこともあるわけです。

で、それぞれ症候論的に特徴あるのでひとくくりにしないで別個の概念として考えた方が良いという立場です。これはつまり『自閉症スペクトラムをスプリットして考えろ』ということ。

確かに、現在の状態を記述して理解を深めるために『疾患概念』は活用されるべきだと思います。この疾患概念vsスペクトラムはこの前の固有名vs確定記述の話に通ずるので、またの機会に考えようと思ってます。


ASDの中核症状 

診断基準はDSM-Ⅴからウィングの3つ組から2つ組へ変更。カナーへの回帰。
  • A基準 対人相互的反応の障害
  • B基準 一定不変であることへのこだわり
まだ歴史が浅い疾患なのに、研究によって脳器質的基盤が収束しつつあるのは珍しいこと。
統合失調症の脳器質的基盤の方が散らかってるらしいです。

共同注意は対人相互的反応の原基でありとても重要
  • 『子供の頃の写真がカメラ目線かどうか』が参考になる
  • ASDはひとの視線に影響されにくい
  • ADHDはひとの視線に対して(定型発達のひとと同等かそれ以上に)影響される
ASDとADHDの鑑別点でもある。

ASDの症状は認知だけでなく身体を巻き込む
  • 不器用さと器用さの混在
  • 自律神経系の不安定 頻脈・湿度・気圧に弱い

成人期ADHDの臨床

ADHDのひとはしばしばパイオニア的存在だったりする。
薬物療法によってその特性が薄れることもある。 
ADHDの特性が環境にうまくカップリングできればすごいひとになったりする。病理的な部分をパートナーや周囲がうまくカバーしたり、どこかにはけ口があったりするとよいだろう。

ただし実際問題として、パイオニア的存在って同じ集団内に複数いたら収拾つかなくなるので、当たり障りなく環境に適応できるように脳を薬物で最適化してしまう方がよかったりして。


質疑応答

精神症状の合併について
  • ASDは被害関係念慮から幻覚などの精神病状態を呈することがある。幻視も珍しくない。
  • ADHDは健常者とほぼ同じという印象。
ADHDには双極性障害が多のかなと思っていましたがそうでもないみたいです。

発達障害と他の精神症状が渾然一体としているケースについて
発達を軸にアセスメントして明確に説明することによって問題が整理されることがある。
渾然一体としたものを理解するのは難しいので、もともとあった発達障害を基盤として、二次的に精神症状が加わったものとして理解する方がイイ。
 
ASDのひとの親がASDだったりする問題について
  • ASDのひとの親もASDであることはけっこうある。その場合、親のアセスメントを綿密に行う。
  • 家族機能が不十分な場合は支援のリソースを最大限活用する。
  • 逆に、親がASDだからこそ耐えられる状況もある。
実際の臨床で問題になるのはほとんどコレだったりします。


それにしても児童精神科医って、ネオテニーというか可愛らしい顔のひとが多いなあと思いました。そういう人が児童精神科医になるのか、やってるうちにそうなっていくのか、つくづく不思議だと思いました。



神田橋條治は発達障害をどのように理解しているか


カテゴリ:
精神病理学会37


先日、精神病理学会へ行ってきました。マイナーな学会ですが、とてもおもしろいのでほぼ毎年参加しています。

今年は、内海健先生プロデュース@東京藝術大学。ゲストに哲学者、社会学者、理学者、複雑系研究者からアーティストまで登場して素晴らしいコンテンツが目白押しでした。会場でフリーwifiが使えたのもよかったです。

神田橋條治による発達障害のお話がとても良かったので少し紹介してみます。神田橋條治はちょっとオカルトっぽいところがあったりして苦手だった時期もあったのですが、今となってはこの手のうさんくささは精神療法家としてある程度は必要なのかもしれないと思ったりしています。
 
※わかりやすく『発達障害』と表記していますが、広汎性発達障害あるいは自閉スペクトラム症のことです。


発達障害の診断について

発達障害の情報は雑多なのでまとめて一望できる方がいい。
あああこれはホントにそうで、MSPAなどでまとめて大づかみする必要があります。
発達障害のひとは対話が苦手だからお喋りに憧れる。お芝居とか。対話は苦手だけどお喋りは好き。メールは得意なので凝る方。
会話のキャッチボールが苦手で一方的なコミュニケーションをとりがちだけど、スピーチがとても上手なひともいる。
発達障害を疑ったら幼稚園時代に何が楽しかったかを聞く。人間関係やコミュニケーションに関することだったら定型発達、本とかモノだったら発達障害の可能性を考える。
会話のキャッチボールが苦手で一方的なコミュニケーションをとりがちだけど、スピーチがとても上手なひともいる。人間よりも虫とか電車とかに興味を持つ。


発達障害と統合失調症

発達障害のひとは精神病をやるとラクになる。
『◯◯に思えて仕方がない』という表現をする場合、発達障害を基盤とした統合失調症である可能性を考える。頭から振り払おうとしても振り払えない、あらかじめ異物感がある。
典型的な統合失調症のひとは二重見当識を駆使して社会で生きていける。生活臨床で言うところの受動型。能動型のひとに発達障害がまぎれていることがままある。ほどほどのところであきらめることができないひと。 
発達障害のひとで、一時的に精神病状態になってたいへんなことがあるけど、そうなった後にスッキリしていることが多かったりします。


発達障害のひととの交流について

患者さんと手記でコミュニケーションをすること。手記が治療者と接していて本人は後ろに隠れている。このように、いつも生身の自分がオモテに出ないようにしてやっていける方がいい。それが洞察された上でなされるようになればなおさらよくて『しょせんこの世は幻』的な生き方ができるようになってイイ感じ。
『論理で動いている』のではなく『論理に基づく判断で動いている』わけで、論理にあなたがいるのではない。『論理で動く人間』という理解では不安定。そうではなく、判断した瞬間にあなたがある。判断は常に感情が伴う。
情緒的な関係で支えられるのが苦手。知的なものは肉体と密着していないので、それをよすがに生きていくひとは風変わりな人として完成していく。
情に基づくベタベタした関係ではなく『ポジティブに評価されている』という情愛関係を育む。その際、褒め言葉は暖かすぎるので『承認』くらいにしておく。
このへんの理解が白眉だと思いました。もしかしたら神田橋條治は人間の複雑な心の機微をモノ的にとらえて解釈して自在に操作できるという点では、ご自身も発達障害に親和性のあるひとなのではないかと感じました。


その他

発達障害のひとは苦手な部分を代償していく。それを『脳が発育した』と解釈する。 
脳の故障としての説明モデルは発達障害のひとには有効。脳科学という神話にのっとって、脳を保護する活動をすすめる。
社会復帰とか就労は『ごっこ』としてやるくらいで丁度いい。

人文系の精神科医は脳科学を敬遠しがちですが、神田橋條治は逆に脳科学ブームを歓迎して精神療法的に利用できるところはとことん利用してしまおうという節操の無さがいい感じでした。
 

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