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「傲慢な援助」を読む

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「THE WHITE MAN'S BURDEN」William Easterly 著 東洋経済新報社


傲慢な援助
ウィリアム・イースタリー
東洋経済新報社
2009-09-04



面白い本を読んだのでご紹介します。「貧困問題と開発経済学」という精神科医療とあまり関係がなさそうなジャンルの本ですが、援助者として学ぶところが大きかったので。

本書の問題提起はこうです。

第一の悲劇「貧困が存在すること」は雄弁に語られるが、
第二の悲劇「多額の援助が貧しい人々に届かないこと」は語られなのはなぜか。
貧しい国では薬が流通しにくいのに、
先進国ではベストセラーがあまねく流通するのはなぜか。


■著者紹介
1957年,ウェスト・バージニア州に生まれる.1985年,MITで経済学博士号(Ph. D.)取得.世界銀行に入行.1985-87年には西アフリカ,コロンビアの融資担当エコノミストとして,以降2001年まで調査局のシニアアドバイザーとして世界各地を飛び回り,数多くの会議やセミナーに出席し,多数の論文を書くなど,「経済成長分析」の専門家として精力的に活動.2001年世界銀行を退職.現在はニューヨーク大学経済学部教授.そのほかブルッキングス・インスティテューションの非常勤シニアフェローも務める.


■プランナー vs サーチャー
本書では、プランナーとサーチャーというふたつの援助者像が対照的に提示されます。カール・ポパーの二分法「ユートピア的社会工学(革命)vs 段階的民主改革(改革)」に近いものだそうです。


◉プランナー 
  • 壮大なユートピア的計画を喧伝する
  • 人々の期待を高めるが、その実現に責任を負わない
  • 善意に満ちており、他人にも善意を強要する
  • モチベーションは与えない
  • 自分は問題に対する答えを全て知っている
  • それに従えば問題は解決すると思っている
  • 一方的にできもしない解決策を押し付ける

◉サーチャー 
  • 必要な人に必要なサービスを届けるだけ
  • 個別の行動に対して各々が責任を負う
  • うまくまわる仕組みを考える 
  • 成果をあげれば得をするインセンティブを与える
  • 問題は多元的・複雑であると理解している
  • 事前に答えは分からないと認めている 
  • 試行錯誤を繰り返して解決策を探る

もうおわかりのように、プランナーはヤバいからサーチャーであるべきだと言うことで、プランナーがどうヤバいかと言うと、
  • 左派は国家主導の貧困との戦いが好き・右派は慈善精神に基づく帝国主義が好き、というわけで両陣営から支持されやすい。
  • プランナーはわかりやすい物語で感情に訴えるので支持されやすく、主人公気分にひたることができる。
  • プランナーは貧しい人々に関心があるのではなく、自分たちの虚栄心を満たすことに関心がある。
  • プランナーにはフィードバックとアカウンタビリティが必要ないからラク。

■貧困の罠
貧困こそが諸悪の根源!なので、なんとしてでも援助しなくてはならないのか?

実際には、外国援助と貧困国の成長には相関がなく、貧困国も自力で成長できることが明らかになっています。成長できない場合の要因は貧困よりもその国の政治体制だったりするので、民主化して自由市場化すれば成長しやすかったりします。


■プランニングできない市場
信頼にもとづいて交換し、互いが利益を得る「市場」という発明は、自然発生的なものであり、トップダウンで自由市場を導入することはできません。赤の他人に対する信頼度と経済成長率は相関します。貧しい国ほど特定の部族や親族が富や権限を独占し、属人的で限られたネットワークしか構築されず発展しにくいのです。また、所有権によってインセンティブが生じ、市場は有効に機能するようになります。


■プランナーは悪いひとたちと結びつきやすい?
民族紛争・天然資源産出・不平等な農業社会では民主主義が成立しにくいと言われています。民衆の教育水準が低い場合、民主主義が成立しても恐ろしい政府が生まれることがあります。たとえばポピュリズム。本来の政治的目的以外の利己的な計略のために政治家が憎悪を煽り、民衆をチェスの駒のように扱って分断し、内紛が起こって民主主義が成立しにくくなって経済は停滞しやくなります。悪い政府への援助収入は腐敗したインサイダーを潤し、かえって民主化を遠ざけるため、原則は非介入にすべきであるという考えです。


■富者に市場あり、貧者に官僚あり
貧者はニーズを伝えることがなかなかできないので、援助機関がニーズを決定し官僚が執行します。官僚は貧者よりも援助者を満足させようとしますが、プランナーは「壮大な計画」でないと満足しないため、成果を上げることよりも目標を設定することで評価されて、成果は見えにくくなります。成果を可視化して外部からの評価を受け入れ、外部に対する説明責任を負うべきです。


■自国の発展は自前の発想で
援助なしに成長したかつての日本は、自前のサーチャーだったそうです。近年の経済成長国ベスト10はそれぞれ独自のシステムで成長・外国援助はゼロか微小ですが、その一方で、ワースト10はマイナス成長なのに外国からの援助は莫大です。これが、欧米の偉大なる指導のおかげだと言うのはあまりにも滑稽過ぎます。


■成功の必要条件
  • フィードバックとアカウンタビリティを得るために市場を活用したこと。
  • ユートピア的目標を掲げてそれをみんなの責任にする最悪のシステムをやめること。
  • 具体的成果を目標とし、それぞれの目標に対してそれぞれの担当者が責任を持つこと。
  • 他国に対する思い上がった信念をすてて謙虚に、過度な干渉をしないこと。
  • 援助の目的は、個人の生活をよくすることであって、政府や社会を変革することではないと知ること。

■まとめ
賢明で偉大なる指導者が描いたヴィジョンによってなされる施策はどうやらうまく機能しないことにみんな気づき始めています。自由な市場が機能して経済成長を促す場をつくることこそが成功の条件であり、そのための制度やインフラを整えることが援助者の役割であると。


■精神科医療にあてはめてみると
医療福祉系において、過剰に意識の高いひとは「プランナー的援助者」になりがちです。プランナー的援助者は患者さんや周囲のひとを依存させがちで、しばしば患者さんの自由を制限して管理的になってしまいます。このような状況においては、患者さんのための資源が援助者の承認欲求を満足させるために浪費されてしまいます。

サーチャー的な援助者は、患者さんの可塑性と成長を信頼しています。自由度を高めて試行錯誤を重ね、成長を促します。また、問題を多元的にとらえて試行錯誤を重ねて解決を指向する、つまり問題をシステムとしてとらえる解決志向ブリーフセラピーに通じる考え方です。

基本的にはこれが望ましい援助者像だと思いますが、サーチャー的な援助者は黒子みたいなものなので地味でパッとしなかったりするので、たとえ間違った方を向いていてもわかりやすくて頼りがいのあるプランナー的な援助へと流れてしまいがちなのではないかと思う今日この頃です。




ASD vs ADHD / カナー vs アスペルガー

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スペクトラム

先日、十一元三先生の講演を聴きました。神田橋條治先生のお話とは対照的に単純明快でとてもわかりやすいプレゼンだったので少しご紹介。

ともすればゴチャゴチャしがちな発達障害を、ASD vs ADHD/カナー症候群 vs アスペルガー症候群の二分法で整理していきます。

略語
ASD 自閉症スペクトラム障害
ADHD 注意欠陥多動性障害  


◆ ASD vs ADHD
ASDとADHDはそれぞれお互いをお互いと見間違う
例えば、
  • 社会性の障害を『不注意』と誤解したり
  • 衝動性を『社会性の未熟』と誤解したり
薬剤選択や効果判定に影響するので見分ける努力をするべき
鑑別すべきポイント『馴れ馴れしさ』について
  • ADHD ひと懐っこさ・あどけなさ
  • ASD 奇異・おせっかい=社会的関係のわからなさ
→対人相互性に注目した聴き取りが重要
積極的なASDのひと特有のぐちゃぐちゃネチャネチャした対人距離感。その昔は境界例として記述されたりもしたんだろうと想像します。 
ASDの重症例はADHDを合併しやすい


◆ カナー vs アスペルガー
『人を避ける・孤立』vs『他者への活発な接近』
『発語の遅れ・緘黙』vs『雄弁・詩的・衒学的』
いずれも『自閉=対人相互反応・社会性の障害』ということで『自閉症スペクトラム』にまとめられる昨今ですが、もともと自閉症は(古典的かつ典型的な)カナー型と(非典型的な)アスペルガー型に分けられていたこともあるわけです。

で、それぞれ症候論的に特徴あるのでひとくくりにしないで別個の概念として考えた方が良いという立場です。これはつまり『自閉症スペクトラムをスプリットして考えろ』ということ。

確かに、現在の状態を記述して理解を深めるために『疾患概念』は活用されるべきだと思います。この疾患概念vsスペクトラムはこの前の固有名vs確定記述の話に通ずるので、またの機会に考えようと思ってます。


◆ASDの中核的特徴 
診断基準はDSM-Ⅴからウィングの3つ組から2つ組へ変更。カナーへの回帰。
  • A基準 対人相互的反応の障害
  • B基準 一定不変であることへのこだわり
まだ歴史が浅い疾患なのに、研究によって脳器質的基盤が収束しつつあるのは珍しいこと。
統合失調症の脳器質的基盤の方が散らかってるらしいです。

共同注意は対人相互的反応の原基でありとても重要
  • 『子供の頃の写真がカメラ目線かどうか』が参考になる
  • ASDはひとの視線に影響されにくい
  • ADHDはひとの視線に対して(定型発達のひとと同等かそれ以上に)影響される
ASDとADHDの鑑別点でもある。

ASDの症状は認知だけでなく身体を巻き込む
  • 不器用さと器用さの混在
  • 自律神経系の不安定 頻脈・湿度・気圧に弱い

◆成人期ADHDの臨床
ADHDのひとはしばしばパイオニア的存在だったりする。
薬物療法によってその特性が薄れることもある。 
ADHDの特性が環境にうまくカップリングできればすごいひとになったりする。病理的な部分をパートナーや周囲がうまくカバーしたり、どこかにはけ口があったりするとよいだろう。

ただし実際問題として、パイオニア的存在って同じ集団内に複数いたら収拾つかなくなるので、当たり障りなく環境に適応できるように脳を薬物で最適化してしまう方がよかったりして。


◆質疑応答
精神症状の合併について
  • ASDは被害関係念慮から幻覚などの精神病状態を呈することがある。幻視も珍しくない。
  • ADHDは健常者とほぼ同じという印象。
ADHDには双極性障害が多のかなと思っていましたがそうでもないみたいです。

発達障害と他の精神症状が渾然一体としているケースについて
発達を軸にアセスメントして明確に説明することによって問題が整理されることがある。
渾然一体としたものを理解するのは難しいので、もともとあった発達障害を基盤として、二次的に精神症状が加わったものとして理解する方がイイ。
 
ASDのひとの親がASDだったりする問題について
  • ASDのひとの親もASDであることはけっこうある。その場合、親のアセスメントを綿密に行う。
  • 家族機能が不十分な場合は支援のリソースを最大限活用する。
  • 逆に、親がASDだからこそ耐えられる状況もある。
実際の臨床で問題になるのはほとんどコレだったりします。


それにしても児童精神科医って、ネオテニーというか可愛らしい顔のひとが多いなあと思いました。そういう人が児童精神科医になるのか、やってるうちにそうなっていくのか、つくづく不思議だと思いました。


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児童思春期外来でよく遭遇する『不登校・ひきこもり』についてのレクチャーを準備しています。


■不登校・ひきこもりの特徴

不登校やひきこもりの臨床では、問題の原因を特定して治療すれば終了!という素朴な因果律では解決できない場合が多くあります。というのも、ある問題の原因を特定しようとする行為によってますます問題がこじれていくことになったりするからです。

ここでの因果律はグルグル回転していて、悪循環に至る『不登校・ひきこもりシステム』が完成されています。もちろん、そんなシステムをつくろうだなんて誰ひとり意図してないのにも関わらずできあがってしまうのが不思議なところです。


■不登校・ひきこもりシステム

『システム』といえば一般的には超便利というイメージがありますが、実はけっこうやっかいな面もあったりします。というのも、システムはいったん完成してしまうと中にいる構成メンバーの意志では止められなくなってしまう場合があるからです。しかもシステムは透明なので外からみてもよくわかりません。こうしてシステムは安定して維持されていきます。


■システムを改変するためのプログラム

システムを改変するにはシステム外部からのアプローチが必須となります。不登校・ひきこもりシステムの中にいる人は素朴な因果律を採用していて、外の人にもソレを求める傾向があります。外の人が安易にソレを採用してしまうと悪循環のシステムに組み込まれてしまうので、あらかじめ中の人とは別の思考プログラムを身につけておく必要があります。

例えば、解決志向ブリーフセラピー。素朴な医学モデルとはかけ離れた思考プログラムなので、上記システムに干渉する際には役に立つ場合が多いようです。軽薄そうにみえてわりと奥が深い感じがするのも好感がもてます。そして、伝達性が高いのがウリみたいなので、さわりだけ伝達してみようと思います。



『解決志向ブリーフセラピー』

■原則
  1. うまくいってるならそれを変えるな
  2. 一度うまくいったらまたそれをせよ
  3. うまくいかないのであればなにか別のことをせよ 
  • クライエントの病理のせいにしない
  • 教条主義的にならないように
  • 何でもいいからやってみて試行錯誤を重ねる
  • 失敗はアーカイブしておいて繰り返さないように

■変化とは
  • 変化は絶えず起こる・必然である 
  • 小さな変化は大きな変化を生み出す 
  • 変化は瞬間に起こる 
  • 変化は変化のための方法を知らなくても起こる 

■治療的変化が起きる条件
  1. 治療者含む2人以上の人間が接触している
  2. 治療者がサービス業に徹していること 
  3. 治療者が変化について体験的に知っている 
  4. 治療者が問題について知っている
    ◎問題は『ない』あるいは人と人との間に『つくられている』 
    ◎受診していること自体はひとつの問題である
  5. 治療者はクライエントに対して常に敬意を払っている 
    ◎クライエントの中には問題はない 
    ◎クライエントは変化に必要な能力とリソースを持っている 
    ◎クライアントはその問題についての専門家である
    ◎良い変化の方向はクライエントが知っている  

■『問題モード』から『解決モード』へ
 問題の解決ではなく解決の構築を目指す
 率先して治療者が解決モードに入る


■解決モードの条件
  • どうなりたいのだろうか?
  • よくなったらどうなっているだろうか?
  • なにが好き/得意だろうか?
  • すでに起こっている変化/できていることはなにか?
  • なにを利用できるだろうか? 

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講演会のお誘いを受けました。おもしろそうなので行こうと思います。
めちゃくちゃ広い会場を借りてるので、たくさん参加できるみたいです。
ご興味のある方はぜひご参加ください。ネットからの申し込みもできます。

1 日 時
2014年8月20日水曜日 14:00~16:30

2 場 所
兵庫県看護協会 ハーモニーホール

3 講 師
◆宇都宮大学 教育学博士 梅永雄二
◆関西学院大学 総合支援センター コーディネーター 鈴木ひみこ
◆社会福祉法人すいせい 副理事長 岸田耕二

4 定 員  500名

5 対 象
当事者・保護者および当事者団体、企業・就労先企業関係者、医療機関関係者
教育機関関係者、地域支援機関関係者、関係行政機関 等

6 申込み
ちらしのフォームからFAXでお申込みいただくか、下記のアドレスからお申込みください。
申込みアドレス http://goo.gl/IE9YmE


近年、「発達障害」という言葉は社会の中でも浸透し、障害者雇用の中でも発達障害のある方が活躍できる場面が非常に増えてきました。一方で発達障害の傾向はあるものの、診断の無い方(グレーゾーン群)に対する就労支援や進路選択については、まだまだ課題も多く、困惑されている当事者の方々や支援機関の方々が多くいるかと思います。

そんな状況をふまえて「発達障害のある方」「グレーゾーン群の方」に向けて、今我々が出来ること、考えていることを共有できればと思い、本講演会を企画いたしました。

この講演会を通して、様々な立場の方々が一つでも多く、何かの「気付き」を得ていただければ幸いです。

『グレーゾーン』の人たちは臨床上しばしば問題になります。典型的な人たちは典型的な治療法や対処法が有効だからです。おまけに、グレーゾーンの人たちは他の疾患もグレーゾーンだったりしてややこしいのです。


生活歴が荒んでいることに注目するのもいいのですが、さしあたってどの診断を採用するかはリソースで決まります。診断はあくまでも仮説なので、援助者の人口や制度が豊富な診断名を優先して採用すべきかと思います。今どき「人格障害」と診断したところで誰も助けてくれませんから。

その点、最近の発達障害に対するリソース増加は著しいですね。これには賛否両論ありますが、就労支援を導入することによってメキメキと改善する発達障害の方がいらっしゃる事実がありますので、見逃せない動向だと思います。

意外とブリコラージュな配線のスクランブル交差点

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さて、天井をコンクリート剥き出しにしたことで、天井を走る配線の交通整理をしなくてはいけません。

そこで登場するのが鉄パイプとボックスです。
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ボックスはまず穴のない状態で現場に持ち込まれて配線をひとつひとつ確認しながらドリルで穴をあけていきます。
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穴をあけたら次は天井に設置されます。
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そして、ボックスを起点として鉄パイプが繋がれていきます。このように、ボックスは配線のスクランブル交差点として機能します。
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このようなものは、まず設計図ありきで全てそれにしたがって実装されるものだと想像していました。ですが、実際の現場は複雑さに満ちていて臨機応変に対応する必要があり、その場その場でベターなものをツギハギしながら作成していく手段がとられていくわけです。

これはエンジニアリングに対する『ブリコラージュ』という方法に近いものだと感じました。

『ブリコラージュ』とは、レヴィ=ストロースが『野生の思考』で記述した、限られたリソースのなかで暮らす野生の人々がありあわせの道具と材料で生活に必要なものをつくってやりくりしていくことです。

あらかじめ設計図があって最適解が定められいることから学ぶものはほとんどなくて、限られたリソースのなかで試行錯誤しながら解決していくプロセスから学ぶことが重要だと思う今日このごろです。

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