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進化心理学でひもとく中心気質と発達障害


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中心気質は魅力的な概念ではあるものの、もうすっかり忘れ去られて久しくホコリをかぶっています。しかしながら、発達障害の理解を深めるうえではとても重要な概念なので、発掘して利用していこうと思っているので、過去のエントリーをまとめてみました。

中心気質 ≒ 発達障害 

中心気質とは、精神科医の安永浩が提唱した概念で、のびのび育った幼児のような/無垢で純粋/天真爛漫/まるで自然の動物のような気質です。

以前、「中心気質は発達障害である」という話をしました。それをもう少し掘り下げていこうと思います。
そもそも、提唱者の安永浩によると、ひとはみな中心気質として生まれてきて発達≒社会化されていく、というコンセプトなので、
  • 中心気質のままとどまっている≒発達が停滞している
と考えることができます。


長嶋茂雄とモーツアルト

たとえば、中心気質の有名人といえば長嶋茂雄ですが、近年ではADHD説がポピュラーです。ホームランを打ったのに一塁ベースを踏み忘れたり、息子を球場に置いてけぼりにしたりと、ADHDらしいエピソードに事欠きません。

また、安永はじめ大澤らによると、偉大な作曲家であるモーツァルトは中心気質の天才であると論じられています。
大澤里恵:モーツァルトー中心気質の創造性ー.日本病跡学雑誌, 66:56-66, 2003

他方、モーツアルトに関する海外の研究では、トゥレット症候群やADHDとASD、シデナム舞踏病による異常行動があったのではないかという報告があります。モーツァルトのシモネタ満載のハチャメチャな手紙はとても有名ですが、そのような汚言症(コプロラリア)や運動チックをはじめ、さまざまな行動特性を発達障害や神経精神障害で説明しています。
Ashoori, A., Jankovic, J.: Mozart's movements and behaviour
: A case of Tourette's syndrome? 
J. Neurol. Neurosurg. Psychiatry 78: 1171-5,2007.

また、ぼくの大好きな映画監督のポール・トーマス・アンダーソンの作品には中心気質的な人物がとてもたくさん登場します。


「マグノリア(Magnolia)」以降の作品では、中心気質的であると同時に、発達障害っぽい登場人物が増えてきている印象があります。たとえば「パンチドランク・ラブ(Punch-Drunk Love)」でみられる突発的なパニックと暴力、「ザ・マスター(The Master)」では、ずっと不機嫌で落ち着きを欠いた主人公が焦燥感に駆られて定期的に爆発します。


「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド(There Will Be Blood)」では、信念にとりつかれて手段を選ばずひたすら我が道を行く主人公。「ファントム・スレッド(Phantom Thread)」では、女性をマネキンのようにあつかう主人公などなど、ADHDやASDの特性が満載の作品となっています。


主人公は中心気質/発達障害

フィクションの領域をながめてみると、少年漫画の主人公はだいたい中心気質だったりします。好奇心旺盛で高い開放性をもちながら、なにかしらのあぶなっかしいところや偏りや社会性のなさ、つまり発達障害の特性をあわせもっていることが多かったりします。

今村弥生, 田中伸一郎:
王道少年漫画で伝えるレジリエンスの病跡学と医学教育 
- ONE PIECE NARUTOを中心として -
日本病跡学雑誌, 92: 87-88, 2016.


そのような「偏り/ハンディキャップ」を抱えることで、キャラクターの魅力が倍増している側面もありそうです。

中心気質≒発達障害の特性をもっていることは、実社会において基本的には不利になることが多くなります。(長嶋茂雄やモーツアルトなどの天才はぶっちぎれるので関係ありませんが。)

つまり、リアルな世界におけるハンディキャップは、フィクションの世界ではキャラクターの魅力に転化します。ハンディキャップを跳ね返して活躍する主人公は痛快極まりない愛すべき存在であるわけです。


ハンディキャップ原理/シグナリング理論

このへんの事情は精神医学の考え方ではなかなか説明がつかないので、ぼくにとって長年のナゾだったのですが、進化心理学/経済学のハンディキャップ原理/シグナリング理論という考え方でスッキリ説明がつきます。

なんらかのハンディキャップなりコストを背負った状態をあえてディスプレイして発信/シグナリングすることによって、外敵を牽制したり仲間や配偶者にアピールする戦略は、自然界の動物にとっては日常茶飯事のふるまいだったりするわけです。

さらに、進化心理学者のジェフリー・ミラーは、ハンディキャップ原理を拡張してひとの行動を説明しています。タトゥーやピアスをはじめ、ヘンテコな文化に親しむことや精神病理や狂気に接近することもまたシグナリングであると説明しています。



ちょうど、クジャクが極彩色の羽を身にまとうように、精神病理を身にまとうことに適応的な意義を見出すことができるようになるのです。

実際に、著名なファッションデザイナーであるアレキサンダー・マックイーンは精神疾患や精神病院をモチーフにしたコレクションを開催して注目を集めたりしていました。


中心気質/発達障害シグナリング

次回からは、中心気質≒発達障害らしさを身にまとってディスプレイし、発信/シグナリングすることを「中心気質/発達障害シグナリング」と定義して、その意義についてまとめていこうと思います。

精神分析や現象学は発達障害と相性が悪そう


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ぼくは毎年のように精神病理学会に参加している数少ない精神科医のひとりです。今年はコロナ禍ということでweb形式の学会だったのでとても便利でした。

web開催なのに参加費が10000円だったのが納得いかないのですがそれはともかく、最近は精神病理学会ホームページ運営委員会に参加してお手伝いさせていただいてます。


この前、精神病理学会が監修した用語集/シソーラスをweb上で公開することになったので、興味のある方はのぞいてみてください。用語をとても大切にあつかっている先生方の叡智が結集されているので、けっこう貴重な情報なのです。


ところで、精神病理学は「精神疾患の仕組みを探求する学問」で、そのツールとして精神分析や現象学(哲学の一種)がよく用いられています。しかしながら、精神分析や現象学は最近だんだん説得力がなくなってきています。

そもそも、精神分析や現象学は精神科の実務にはほとんど役に立たないばかりか、めちゃくちゃわかりにくくて勉強するのに時間と労力を食ってしまいます。

そのように理不尽なコストを支払っているからこそ、精神分析や現象学はある種のステータスになっていたりして、ひと昔前はけっこう専攻する精神科医がいたみたいです。今はさすがにほとんどいなくなって、いたとしても変人あつかいされていたりします。つまり、絶滅危惧種です。

精神病理学会はシーラカンス的なひとたちに出会える貴重な学会であるからこそおもしろかったりします。
陰謀論

これはネットで評判の画像で、それぞれ下記をあらわしています。
  • データ(data)
  • 情報(information)
  • 知識(knowledge)
  • 洞察(insight)
  • 知恵(wisdom)
  • 陰謀論(conspiracy theory)
ともすれば、精神分析や現象学は知恵であってほしいものの、最近ではオカルトじみた陰謀論みたいなあつかいになっているのかもしれません。

さて、近年では発達障害を精神分析や現象学で説明しようと努力されているひとを観察しているのですが、彼らの考え方はとてもアクロバティックです。たとえるならば、スプーンでスープを飲めばいいのに、でっかいスコップでスープを飲んでいるような。

「でっかいスコップをあやつる達人がめちゃくちゃ苦労してちょこっとだけスープを飲む」という曲芸をみせつけられると、「へぇ~、すごーい」って感心することもあるのですが、それならはじめからスプーン使ってスープ飲もうよ、って素朴に感じるわけです。ソレ、わざわざやる必要あるの?ってツッコミを入れたくなってしまいます。

発達障害に関しては、精神分析や現象学よりも進化心理学や行動経済学がツールとして優れているのではないかと最近考えていて、とくにADHDは行動経済学で考えた方が有益なので、これからまとめてみようと思っています。




モテたくてポリコレ


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前回からの続きです。


精神科医療におけるノーマライゼーションは建前としては浸透しているけど、実質的にはまだまだ浸透していないのではないか、という話でした。

今回は、ひと昔前にあった、急進的にノーマライゼーションをすすめようとするアツいチャレンジについて、少しだけまとめました。




治療共同体という失敗

昔々、医療者も患者さんも対等な立場で交流する「共同体」をつくりましょう、というロマンティックな考え方がウケていた時期があったそうです。とある地域では、精神科医が白衣を脱いで私服で診察するスタイルが流行していました。

とくにアルコール依存症の治療共同体が流行っていたみたいで、たとえばアルコール依存症のひとを支援する精神科医は自分自身も対等に?アルコール依存症じゃないとアカンよね、みたいなノリがあったようです。同じ依存症同士の方がわかりあえる、ということでしょうか。

そういえば最近、どこかのアルコール依存症専門クリニックの院長が飲酒運転で事故って現行犯逮捕されたというニュースがありましたが、治療共同体文化の名残り(成れの果て?)だったりするのかもしれません。

それはともかく、このような治療共同体という試みはことごとく失敗したので、現在はほとんどその痕跡は残っていません。お行儀のよい患者さんばかりを集めて会員制クラブみたいに運営していることを批判されたり、みんな対等な関係のままで患者さんの対応をすることができなかったのでしょう。

聞いた話では、とある地域で治療共同体の思想におもいっきりかぶれた精神科医がたまたまトップだったために、一部のややこしい患者さんたちが医師控え室を占拠して医師をつるしあげたり暴力をふるったり、無法地帯になって診療機能がストップしてしまったことがあったとか。

ややこしい患者さんもみんな含めてノーマライゼーションを実践する必要があるわけで、それを達成するにはある程度の規律が必要なことは明白です。にもかかわらず、現実に目を背けてロマンティックなお花畑を夢みてしまうことで、さまざまな歪みが生み出されていたようです。

さて、そのツケは誰が支払うのでしょうか?建前としてのノーマライゼーションによって排除されたややこしい患者さんは一体誰が受け入れているのでしょうか?

このへんが精神科病院への強制入院が急増している一因であると思うわけです。


モテたくてポリコレ

以上をまとめると、「ノーマライゼーション」という政治的に正しい/ポリコレを声高に主張して尊敬を集めて承認欲求を満たそうとするひとたちは、しばしば自分たちにとって都合のイイお行儀のよい患者さんばかりを集めて、ややこしい患者さんを排除するという矛盾を隠している偽善的なひとが多くて、中途半端なノーマライゼーションを実践して自己満足しているんじゃないかと思うわけです。

つまり、大きな声で主張するわりには、全然行動がともなっていないわけです。

しかも、自分たちが引き受けることのない、ややこしい患者さんを担当している援助者を批判することで、さらに自分のステータスをあげようとする身ぶりはとても浅ましいなあと思うわけです。
 

進化心理学者のジェフリー・ミラーは、「自分がいかに道徳的に優れているか」という言動をみせびらかすひとの習性を性淘汰の枠組みで説明しています。
People say they believe passionately in issue X, but they don’t bother to do anything real to support X.
情熱的にやかましく意見を表明するだけで実効的な行動をしない「ええカッコしいの役立たず」って、不思議なことに次々登場するんですよね、と。

ポリティカル・コレクトネス/政治的に正しい意見の表明は問題の解決そのものではなく、自分を魅力的に演出するための求愛ディスプレイに過ぎないという興味深い仮説です。
孔雀の羽
人間が異性に対して自分をアピールするときに、身体的魅力や社会的地位よりも効果的なのは「やさしさ」すなわち「道徳的な言動をすること」だったりすることはご承知の事実です。

つまり、「モテたくてポリコレ」。

伝統的に「性は道徳の敵」であるとみなされ、対比的に論じられてきました。西洋思想の伝統は心身二元論になっています。
  • 動物 身体 欲望 罪人
  • 人間 精神 道徳 聖人

フロイトの精神分析もこの枠組みにスッポリおさまっているし、進化心理学も基本的には道徳/利他性は個人や所属集団の生存効率を高める戦略であると論じられてきました。

ミラーは、このような二元論のバイアスを克服し、性的魅力と道徳を包括的にあつかうことで、新しい視点を提案しています。この試みは非常にエキサイティングで示唆に富みます。


次回は、精神障害と犯罪の関係について、最近の気になる動向をまとめてみたいと思います。


子育て神話の呪縛


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話題の子育て本を読んでいると、とても興味深いことが書いてあったので紹介いたします。「子育ての大誤解」タイトルはかなりアホっぽいのですが、意外とエビデンス重視の骨太な内容の分厚い本でした。
子育ての大誤解〔新版〕上――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)
ジュディス・リッチ・ハリス
2017-08-24



子育ての大誤解〔新版〕下――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)
ジュディス・リッチ・ハリス
2017-08-24







Kellogg博士のクレイジーな実験

自分の赤ちゃん(ドナルド)とチンパンジーの赤ちゃん(グア)を同じように育てるとどうなるか。1931年、心理学者のKellogg博士は今では考えられないクレイジーな実験をやってしまいました。
Kellogg博士とグア
ドナルドとグア
ドナルドとグア2

ネット上には実際の論文「Kellog. W. N. and Kellog, L. A. : 1933. The Ape and the Child.」(PDF注意16.8MB!!!)や動画も公開されています。




想定外の結果、実験の中断


Kellogg夫妻は愛情を込めて我が子とチンパンジーを徹底して対等に育てました。ドナルドとグアはいつも仲睦まじく行動を共にしました。その結果、何が起こったか。

当初この実験はチンパンジーがどこまで人間に近づくかを想定していたようで、グアは簡単な道具を使ったり、いくつか言葉を理解できるようになったのですが、想定外の事態が起こったため実験は中止になりました。

なんと、ドナルドの発達が遅れてしまったのです。


人間とチンパンジーの違い


ドナルドとグアを比較すると運動能力や言語能力など細かい違いはありましたが、決定的な違いは「模倣する能力」でした。ドナルド(人間)はグア(チンパンジー)の行動を模倣することができましたが、グア(チンパンジー)はドナルド(人間)を模倣することができませんでした。

その結果、人間であるドナルドはチンパンジーの行動を模倣するようになり、人間の言葉を覚えなくなってしまいました。

同じ人間である両親がさんざん愛情を込めてドナルドに語りかけていたにも関わらず、チンパンジーであるグアの影響を強く受けてしまいました。つまり、親よりも仲間の影響力の方が「種を超えて」強かったという衝撃的な事実が判明しました。

発達心理学では、幼少期の子どもは親からの影響を強く受けているとされています。いわゆる「三つ子の魂百までも」。そして、思春期になると仲間の影響を強く受けるようになるとされていますが、乳児の段階からすでに親よりも仲間の影響を強く受けるようプログラムされているということになります。


集団社会化説


「子育ての大誤解」では、この他にも子どもは親の影響よりも同世代の子どもの影響を強く受けるというエビデンスがこれでもかと積み上げられ、「集団社会化説」を展開していきます。ざっくりまとめると、、、

昔から子どもの面倒をみるのは年長の子どもたちだった。子どもは自分に似た子どもに惹かれて集団を形成して他集団と差別化を図るようになり、その経験を通じて社会性を獲得していく。結局のところ、親は子どもに対して影響力を行使できないので、親が子どものために犠牲になって努力したってたいてい報われない。だから、親は子どもに執着せずに自分の人生を楽しむべきだ。

これって普段の診療で、子育てに疲れきった親御さんに対してお伝えしていることとかぶっていたりします。


子育て神話の「最後の砦」


ただし、誤解しないでいただきたいのは、親が子育てを放棄していいということではありません。ネグレクトや虐待が子どもに悪影響を与えるのは明白です。

つまり、親が子どもに影響を与えるのはネガティブなことだけで、むしろ虐待が子育て神話の最後の砦になっているのかもしれません。


進化心理学による裏づけ

「集団社会化説」は進化心理学によって裏づけられています。


チンパンジーの兄弟はみな歳が5歳以上離れています。チンパンジーの子どもは5歳まで離乳ができずに母親との密着状態を維持します。チンパンジーの母親は育児に没頭しているため、働いたり次子を妊娠することができません。

一方で、人間の母親は授乳期間が短かく、早々に子どもを集団に預けて仕事をしたり次子を妊娠したりすることができます。つまり、どちらかと言いえば人間よりもチンパンジーの母親の方が子育てに熱心だし、人間は昔から保育所や幼稚園に預けて共働きするのがデフォルトで、誰もが保育士の役割を担っていたと言えるでしょう。

「集団社会化説」は、人類が発展するためにとった「共同作業」と「共同繁殖」という二大戦略による、当然の帰結だとするとスッキリ納得できます。


それでも親にできること


たとえば、学校でいったんスクールカーストが形成されてしまうと、キャラとポジションが固定されて抜け出せなくなってしまいます。


そんな状況下で、精神分析的に親子関係を掘り下げてみたり、行動主義的に行動分析をしても仕方がありません。それどころか、親の罪悪感を煽ってしまうことすらあります。


勉強熱心な親御さんほど「発達の専門家」の自説に従って一生懸命努力するのですが、結果的に、専門家の助言が正しいことを立証するために奉仕しているだけで、全然子どものためにはなっていないようにみえることがあったりします。

集団社会化説によると、子どもが所属する集団においてうまくいかなくなった場合、親は子どもの環境を柔軟に変更してあげることが重要であるという解が導き出されます。実際の診療場面でも、学校内外にいくつもリソースがあるので積極的に利用すべきだし、子どもが安心して所属できる環境へ移動するだけで解決する場合がけっこうあったりします。

「子どもには愛情が必要だからと子どもを愛するのではなくて、いとおしいから愛するのだ。彼らとともに過ごせることを楽しもう。自分が教えられることを教えてあげればいいのだ。気を楽に持って。彼らがどう育つかは、あなたの育て方を反映したものではない。彼らを完璧な人間に育て上げることもできなければ、堕落させることもできない。それはあなたが決めることではない。」

子育て神話から自由になるための進化心理学


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共同養育
当クリニックの児童思春期外来を受診する子どもの母親について、みなさんが強い罪悪感を抱いていることについて書きました。


相変わらず、強い罪悪感を抱いてしまっている母親が多いこともあって、これについてもう少し掘り下げてみることにしました。 


母子関係という神話

3歳までは母親が1日中つきっきりで育てた方がよいという、かの有名な3歳児神話。親子関係、とくに母子関係、それも母子一体から母子分離のプロセスについて、児童精神分析・児童発達心理・児童精神医学は驚くべき執念で細部まで記述しようとしてきました。

実際に子育てをしてみるとよくわかるのですが、なかにはトンデモな記述もけっこうあって、そもそもなんでそこまで鼻息荒く必死なのか不思議なところです。。。

これにはわけがあって、第二次世界大戦中に疎開で親子が離れ離れになった経験とか、児童福祉医療施設がたくさんつくられるようになったことなどから、戦後ファミリー・ロマンスが流行したことが、その源流になっていたりするそうです。

ドゥルーズと狂気 (河出ブックス)
小泉義之
2017-02-24

 

ロマンティックな神話の弊害

もちろん、現実はそんなにロマンティックではありません。母と子のロマンティックな神話は、かなり根強くオトナたちの思考を規定しています。

子どもがすくすくと問題なく育てばよいのですが、不幸にも子どもに問題が発生してしまうと全て親の責任になってしまいます。特に母親が多方面から批判されて罪悪感を抱くことになります。

経済的にも時間的にも余裕があって、近隣に助けてくれるオトナがたくさんいる母親はまだしも、核家族で頼れる親類が近くにいなかったり、夫の帰りが遅かったりすると途端に厳しい状況になります。ましてや、母子家庭とかほとんど無謀で、そんな状況で立派に子育てできている母親のマネージメント能力は驚異的であるとしか言いようがありません。

何よりも母子関係というロマンティックな神話から自由になることが罪悪感を軽減させることにつながると思います。そのためには別の考え方の枠組みが必要になります。最近読んだ本にヒントがありました。

思春期学
東京大学出版会
2015-05-28



進化心理学から考える

今から20万年前にアフリカでヒトが誕生し、10万年前から全世界へ拡散することに成功し、他の類人猿よりも繁栄することができました。成功の要因として重要なのは『共同作業』と『共同繁殖』であると言われています。

ヒトは『共同作業』を可能にするため多くの知識や技術を習得する必要があるので、一人前になるまでの子育てに要する期間と投資が膨大となってしまいました。そこでヒトは『共同繁殖』という戦略を選択するようになります。両親以外の血縁者や非血縁者の大勢が協力して子育てに携わることによって母親の負担を減らしました。

それによって、母親は共同作業や次の出産に専念することが可能になりました。ちなみに、人間に最も近い種であるチンパンジーの授乳期間は4年以上とヒトよりも長く、その間は母親がつきっきりになってしまって他のことに専念できなくなっています。

進化と人間行動
真理子, 長谷川
東京大学出版会
2000-04-01






産後のメンタルヘルス

ほんの50年前から急激に進んだ核家族化によって、10万年前から脈々と続く『共同繁殖』という優れた戦略を放棄するようになり、そのシワ寄せは母親にふりかかっています。

母親が独りで子育てに取り組むと途端に「これでいいのだろうか」という不安感や「何か間違ったことをしてしまったのではないか」という罪悪感にさいなまれることになりがちです。

育児ノイローゼや産後うつ病には、このような事情が強く影を落としていると考えられます。特に、真面目な母親の方が罪悪感にとらわれてメンタルヘルスの問題を抱える傾向があります。先日、NHKでもとりあげられていましたNHKスペシャル “ママたちが非常事態!? ~最新科学で迫るニッポンの子育て~ ”

まして子どもに発達障害などの問題がある場合はもう大変で、親同士のネットワークをはじめ、教育・行政・医療が協力することが重要であると考えられます。


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